せっかくのお休みの日には、レストランやショッピングに出かけて「ちゃんとした」デートをしたくなる気持ちもわかります。
日常と非日常
思うに、カップルにとっての幸せというのは、ふたつに大別できるはずなんです。
ひとつは、エンターテイメント的な幸せ。
これは、たとえばディズニーランドに行ったりしたときに感じる幸せで、すごくテンションが高い状態、興奮した中で感じるワクワクするような幸せですよね。これはいわば、非日常的な幸せでしょう。
そしてもうひとつは、日常的な幸せ。
好きな人と一緒にいると、ただ寝転がってスマホをいじっていたり、なんなら一緒に隣を歩いているだけで「幸せだなぁ」としみじみ感じることがありますよね。
このふたつの境目は、「好きな人としている『から』楽しい」のかどうかだと思います。裏返せば、「誰とでも楽しめるものなんじゃないか」という問いかけへの答えによって、ふたつは分類されていきます。
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その意味で、たとえば上のディズニーランドとかのテーマパークは、はっきりいえば、それなりに仲がいい人同士だったら、恋人でなくても楽しめてしまうわけです。
「非日常的なもの」という要素そのものが、もはや刺激的なので、「誰と一緒か」という要素の重要性が薄れてしまうからです。
逆に、スーパーのデートを楽しむということは、どちらかに分けるとするなら確実に後者でしょう。スーパーなんて、楽しくないです。それ自体は。だから、これを楽しめるとしたら、その相手がいるからこそ楽しいか、そうでなければ、ただ単に野菜や果物を眺めるのが大好きな少し変わった人かのどちらかでしょう。
非日常を減らしていく
カップルが倦怠期(マンネリ期)に入ってしまうのは、日常的な幸せを感じる訓練が足りていないからではないかと思います。
付き合う前や付き合いたては、どうしても、非日常的な幸せがメインです。
緊張しているせいで、ふたりの関係性そのものよりも、映画やテーマパークといった非日常に楽しみの生産を委ねてしまいがち。
これ自体は悪いことじゃないし、いきなり「愛し合っているのなら、ふたりきりで何もない部屋でもずっと語りあうだけで楽しめるはずだ」なんて無茶な要求を突きつけられても困ります。
ふたりの関係性を深めるためにも、非日常の力を借りることは大切ですよね。
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ですが、ずっと非日常だけに頼ることはできません。
現実的には、お金の問題もありますし、周りにある「非日常な楽しみ」の数にも限界があって、いつまでもこういったことだけに頼り切ったデートを繰り返せるわけでもありません。
そして何より、カップルが目指すは結婚という、日常的な幸せの究極形なのですから、徐々に、非日常だけでなく、日常の中で幸せを実感できる関係性を作っていくことが必要ですね。
そうしてみたとき、スーパーでデートをするというのは、日常的なところで幸せを感じるヒントがたくさん散りばめられています。
並んでいる食材を眺めて、「今夜は鍋にしようか」と提案してみたり、「この駄菓子、子供の頃好きだったんだ」と思い出話で盛り上がったり、はたまた、相手の好きなジュースやお酒やアイスなんかを知って、「今度、家に来るときには買っておいてあげようかな」と思ったり。
平凡な日常の中で、ふたりの関係性の「地力」だけで楽しんでみること。
こうした時間をたまにでいいので作っていくことで、いつの間にか、非日常であろうと、日常であろうと、とりあえずふたりで一緒に居させすれば楽しいね、幸せだね、という絆が生まれるのではないでしょうか。(遣水あかり/ライター)