コップに半分、水が入っています、それを「まだ半分もある」と見るのか、「もう半分しか残っていない」と見るのか? ということが、世間でよく言われます。
まだあると見るひとはポジティブで、もうないと見るひとはネガティブだと、相場が決まっています。
恋愛になぞらえて言えば、彼とケンカをしても彼と付き合い続けている状況を、「まだ彼氏と付き合っている」のか、「もう別れる寸前」なのか、といったところでしょうか。
「もうない」と見るほうが人生は楽しい
若いうちは、どうしても「人生の終わり」がうまくイメージできないと思います。
若いうちに身近なひとの死を経験すれば、ひとはいずれこの世を去るという毅然とした事実を身をもって学ぶことになりますから、「あたしはまだ22歳だけど、あと50年もすれば、人生どうなるか分からない」と感じることもあるかと思いますが、その「50年」なんて、漠然と「長い時間」としか思わないかもしれません。
これが35歳を過ぎると、人生の半分が終わったなと、人生の折り返し地点に来たなと思ったりします。
日本人女性の平均寿命は80歳を超えていますから、70歳でも「まだ現役」という見方も当然ありますが、おおむね70歳くらいまでが「せいぜい現役でいられる年齢の上限」と解釈すれば、35歳は折り返し地点であり、人生の半分となりますよね。
「終わり」を実感しないと見えてこないもの
人生の終わりを実感しないと見えてこないものがあります。
じぶんはどう生きてゆくべきなのか? じぶんはなにに向いているのか? なにをしているときがもっとも充実している時間なのか?
そういうことを「頭で」理解している若い女子はいると思いますが、全身全霊で理解しようと思えば、やっぱりこの「折り返し地点」に立たないとうまくイメージできないでしょう。うまくイメージできないということは、全身で理解していないということです。
全身で「あと半分しかない」と思えば、わりと人生の目的がはっきりしてきます。他人のことなんて、ど~でもよく思えてきます。
恋愛で言えば、「あたしが恋をする目的」が見えてきます。
若いうちは、なんとなくかっこういいと思える男子と一緒にいることが「恋の至上命題」だったものが、エッチすることが目的とか、ステキな思い出を作ることができさえすればそれでいいとか、わりあい恋の目的が1つに絞られてきます。
歳を重ねないと見えてこないものは、誰の人生においてもかならずあります
そうなる年齢が、ざっくり言えば35歳くらいです。ひとによっては40歳かもしれないし、31歳かもしれない。個人差はありますが、だいたい35歳くらい。
若いうちは、どうしても、じぶんがなにを欲しがっているのか、じぶんでもよく分からなかったりしますよね。恋愛においても、仕事においても、なにごとにつけ、なにを目的としてじぶんは生きているのか、うまくつかめないものです。
人生の終わりをリアルにイメージすることができたら、それが見えてきます。よって、恋愛のパートナーを探しやすくなります。じぶんが目的としている集団にいる男子に、無意識のうちに的を絞っているからです。
歳を重ねないと見えてこないものは、誰の人生においてもかならずあります。
そういう、「見えないもの」を感じる感度がありさえすれば、恋は何歳になっても楽しめるのです。本当は80歳を超えても楽しめます。
が、まぁ、体力の限界を考えれば、70歳くらいまで。
ということは、やっぱり35歳くらいを、人生の折り返し地点ととらえておくと、大きく人生設計が狂わないように思います。(ひとみしょう/ライター)