「手軽に彼と出会う」というのは、どういうことを指すのか、というところから一緒に考えてみたいと思います。
がんばってゲットした恋とは?
では、お手軽に出会わない……つまり、いっぱい努力してゲットした恋とは、たとえばどういう恋なのだろう。
たとえば……野球選手とアナウンサーの恋愛とか、アスリートどうしの恋とか、そういうことなのだろうか。あるいは大手商社や都市銀行での社内恋愛とか?
つまり、いっぱい努力して、ものすごい倍率の競争に勝ちぬいたすえにたどり着いた場所で出会ったふたり。
こういうふたりの恋を、ひとは「お手軽に出会った」とは言わないですよね?
「淋しいから付き合う」のなにが悪いのか?
冒頭に書いた「淋しいから、手近にいた男子と付き合った」というのは、なにが悪いのか? という意見もあると思うので、今度はそれを見ていきたいと思います。
ひとは誰だって淋しさを抱えているし、オトナになったからといって淋しさが自然に消えてくれるわけではない。だから、淋しさゆえに恋をするひとはいっぱいいるし、それでふつうだろうと思います。
でも、そういう恋って、短命だったりします。
もちろん野球選手とアナウンサーの恋や結婚だって、5年も経たずと終わることもありますが、一般的な傾向としては、淋しいから手近の彼と付き合った、という恋愛のほうが、より短命ではないでしょうか。
それはなぜなのか?
じぶんに対する誇りが生まれる場所
じぶんに対する誇りを持たない者どうしが集まっているから、という理由があるように思います。
じぶんに誇りを持てないひとは、他人を大事にできない。だから淋しさをぶつけあって、恋は短命に終わる。
こういうことではないかと思います。
わたしたちは、じぶんに対する誇りを持ったほうがいいと思っています。持ったほうがいいどころか、誇りを持って生きているひとを、知らず知らずのうちに、ちょっと尊敬していたりします。
浅田真央ちゃんが、あんなに人気がある理由のひとつは、彼女は、どんなにつらいことがあっても、じぶんに対する誇りをなくすことなく、まっすぐに生きているように見えるからでしょう。
こういうのって、じかにご本人にお会いしてお話をお聞きしなくても、テレビを通して「におい」でわかる。
だから、私たちはどうしても、じぶんに誇りを持てないとなると、暗がりに行きがちになる。「誇りを持てないじぶん」というものが、どこかしら気恥ずかしい生き物のように思えてくる。
そういう場所で出会ったふたりは、自他ともに大事にできないがゆえに、恋が長持ちしない。
でも、考えてみたら・・・
でも、考えてみたら、わたしたちは淋しさをどのように処理するのがいいのか、誰からも教わってこなかった。少なくとも学校で、こんな話、聞かなかったですよね?
音楽や文学は、そういうことを教えてくれますが、クラシック音楽のファンとか、文学のファンのパイの小ささを思えば、ほとんどのひとは、淋しさの消し方を知らないし、じぶんに対する誇りを持つ持ち方も知らない。
だから、せめて、お手軽に手近にいる男子と付き合っているほうが、まだマシなのかもしれない。
だれかと肌を寄せ合っていると、少なくとも最悪の状況からは逃れることができる。(ひとみしょう/ライター)