父親に「男」を感じ取っている女子たち
取材をしていると、女子はそのうち「母親」のことについて語ります。
母親は勉強しろと言ったことがないとか、お受験ママですごく厳しかったとか、とにかく母親のことを語りだすケースが多いです。同性として語りやすいのだろうと思います。
母親のことを語ると、次に父親のことを語る女子は、わりとかわいい女子に多い。
いかに私はパパに愛されてきたのかを語るわけです。小さい頃、パパとおうちの階段でジャンケンをして「グリコ」とか「パイナップル」とかと言いながら、2階まで行ったとか、まあそういう「愛された経験」を語ってくれます。
家のなかで「グリコ」とかとやるのもどうかと思いますが、まあ愛されてきたのだろうなと思います。
あるいは、父親に「男」を感じ取っているように見えます。
男を感じ取るというのは、がんばっているお父さんが好きということです。
あるいは会社や世間にがんじがらめになって疲れているお父さんに見えても、それでもどうにかしようと反骨精神のようなものを静かに燃やしているところを、娘として察している(察してきた)、応援してきた……
そういう女子は、考え方や物の見方がとても素直で、小細工したようないやらしさがないので、とてもかわいく見えます。
かわいくない女子とは?
かわいくない女子というのは、その反対で、父親との関係がうまくいっておらず、父親のことが嫌いで、ゆえに男という生き物を素直に見ることができず、小細工したような考えしか持てない女子。
子どもの頃、父親に甘えたらいくらでも小遣いをくれたので、そのパターンで夜の店で稼ぎまくっているという女子もいます。
そういう女子であっても、父親との関係が良好であれば、男はかわいいと思って、毎晩お店に通いつめているし、父親が憎たらしくて小遣いを巻き上げていた女子は、さほどかわいくはない。
男子の場合は?
男はもっとシンプルで、男が最初に出会う女性は母親だから、母親との関係が良好であれば、彼女にも優しいし、そうでなければ女を騙そうとする男になる。
かわいいか、かわいくないか、というのは、こんなふうに、父親との関係で決まってくるのではないか、と取材を通して感じます。
ルックスが男好みするからかわいいかと、じぶん磨きをしているからかわいいとか、世間にはものすごくたくさんの「かわいい」の基準がありますが、本質的には父性をどう見ているか、というところで決まってくるのではないでしょうか。
かわいくない女子は粗品か?
さらに言えば「あなたの父親を越えようと思っている男子」は、将来、いい男になるでしょうし、そうではない男子は、まあねえ……ということだろうと思います。
男は何歳になっても、戦いに勝たないと「かわいくていい女子」をゲットできないということです。
だから「かわいくていい娘」とは、父親が(世間や会社と)戦って勝ち取った戦利品であるし、その戦利品をおれのものにしようと思って、必死で口説いてくる男子は「いい男」です。
ということは、かわいくない女子は粗品か? ということになりますが、そうではなく、「父性をどう見るか」に、じぶんのなかで一定の決着がつけば、誰だってかわいい女子になれるということです。(ひとみしょう/ライター)