どうもあかりです。
「手料理作ってあげる」はときに“恐怖”ですら
以前に男友達がとても興味深いことを言っていました。
「“手料理作るね”って言われるのって、男子からすると実は結構恐怖だったりする。
“この子の手料理はおいしい”っていうことがわかっているのであればともかく、初めてだったり、2回目以降でも、初回に作ってもらった手料理が“おいしい”と“まずい”の中間くらいの味だったりすると、正直、“外で食べない?”って言いたくなる。でも、せっかく好意でそう言ってくれてるわけだから、外で食べようなんて言えないし、“ありがとう”しか言えない。しかも食べたら絶対に“おいしいね!”って言わないといけない。これって、結構怖いと思わない?」
手料理って、いろんな意味での「気持ち」がこもっています。
献立を決めて、食材をスーパーまで買いに行く時間的な負担という意味での「気持ち」。
食材を買うのにかけた金銭的な負担という意味での「気持ち」。
そして何より、「苦労してでもおいしい手料理を作ってあげよう」というメンタリティという意味での「気持ち」。
これだけ詰まってるんです。正直、私たちがときに「そこまでしなくてもいいよ……」と感じてしまう「おごってあげるよ」と比べても、その「ぎっしり感」は比じゃありません。
だから、相手によってはこれを「怖い」、つまり、「重い」と感じるのも無理はありません。
簡単でいい、ちょっとでいい
手料理を作ってあげるというのが、ときに、これをやってあげる側だけじゃなくて、これをやってもらう側にとっても負担が大きいものかもしれないということがわかりました。
実は、「好きな人に何かをやってあげる」ってそんなに大したものである必要はありません。
例えば「手料理を作ってあげる」のが、「彼の健康に気遣う優しさ」の中でレベル10のものだとしたら、レベル1くらいのところにある「彼のお風呂上がりに水分補給用のお水を渡してあげる」くらいのものはどうでしょう。
こういう、簡単で、しょぼくて、誰でもできて、全然すごくないようなことのほうが、オススメだったりします。こういうののほうが、される側も「気軽に“ありがとう”って言える」メリットがあります。「悪いよ」と感じることも、恐怖を感じることも、重さを感じることもない。「私っていいお嫁さんになりそうでしょ? ほら、プロポーズして!」っていう暗黙のメッセージを感じ取る必要もない。ただシンプルに、「この子、めっちゃ気が利くなぁ」と手放しで感激できる。
負担がかかる「大きい優しさ」より、警戒させない「小さい優しさ」
「え、でもそれだけじゃ全然相手に響かなくない?」と思うかもしれませんが、「彼のお風呂上がりに水分補給用のお水を渡してあげる」というのを、実際にどれくらいの人が実践しているでしょうか。
手料理に比べたら超簡単で、しょぼいのに、誰もそういう些細なものには目をくれず、「彼の健康のために何かをする」と言うと、すぐに気合いを入れすぎて、いきなり手料理に手を伸ばしちゃう。
でも、「優しさ」は“苦労”とか“努力”とかで示すものじゃありません。大切なのは“気付き”と“アイデア”です。苦労や努力の大きさで自分の優しさを彼に示そうとするのは、少し自己満足感があります。
大変な優しさをドカンと1個やるよりも、小さくてしょぼい優しさをぽこぽことたくさん繰り出す。そういう彼女のほうが、彼を警戒させないし、シンプルに「優しいなぁ」と思ってもらえます。
おわりに
もちろん、「これからは彼氏に手料理を作らないようにしましょう」ということが言いたいわけでもありません。彼が望むなら作ってあげればいいし、あなたが作ってあげたいならそうすればいいと思います。
だけど、なかには、「手料理」というものに対してプレッシャーを感じる男子がということ、それから、さらに大切なこととして、「何かをしてあげる」というときにいきなりレベル10のものに手を伸ばすんじゃなくて、レベル1くらいの手近なところからやってみたほうがいいんじゃない?ということを覚えておいてほしいんです。(遣水あかり/ライター)