結婚したらわたしのことを幸せにしてくれそうな男子とは、いかなる男子のことなのか?
■競争に巻き込まれる男子
今の時代って、客観的なデータをもとに、すぐにそれらしいことを言える人が、わりともてはやされていたりします。
職種にもよるかと思いますが、たとえばIT企業の会議では、客観的なデータをもとに即答できない人は、ちょっとしんどかったりします。
だからみんなググることだけは早いし、ググって出てきたデータをもとに、判断するのが早かったりします。
でも、そういう競争って、結局のところ「わたしのほうが正しいデータをたくさん持っています、そのデータよりもっと信ぴょう性のあるデータを持っています」という、言ってみれば小学生が「おれのほうが賢い」とか「おれのほうが親からいいおもちゃを買ってもらっている」というのとおなじことで、あまり意味がないのだろうと思います。
そもそもググって出てきた「客観的」データって、「表層」であり、人々の本当の気持ちをさして代弁していなかったりもするからです。
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そうではなくて人の痛みを想像するとか、彼女の哀しみや嬉しさを共感する、つまり感じることができる人が、もう一度、見直される時代になるのだろうと思います。
時代というのは、「今、不足しているところ」に流れやすいから。
そして言うまでもなく、恋愛とか、幸せというものは、「感じること」を積み上げた結果です。
■本当の幸せとは
以前もどこかに書いたように思いますが、幸せって、最後は「自分の感じ方」を大事にする人のもとにやってくるものです。
若い女子は彼氏「くらい」いないとみっともない……たとえばこういう世間の声に対して、わたしは恋愛以外にやりたいことがあるから我が道をゆくと言える女子というのは、自分の感じ方を大事にしていると言えます。
そういう人は、世間から見て「はみ出して」いるように見えるでしょうし、さして幸せではなさそうに見えるのかもしれません。
でも、世間の声のままに、適当な彼氏を見つけて、その彼となんとなくつきあって、なんとなく結婚したほうがいいのかなあと、流されるように生きている人のほうが、本当は不幸でしょう。
それでも、それこそが幸せだと思っている人もいると思いますが、「世間の意見はさておき、わたしはこれについてはこう思うから、そのように生きる」という姿勢がないと、どこかで無理が生じて不幸になりがちです。
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結婚相手にも同じことが言えるでしょう。
無理に無理を重ねて、自分の感じ方を隠して生きている男子と結婚したら、そのしわ寄せはきっと、もれなく奥さんのほうにもやってきます。
そのしわ寄せを、奥さんが一身に受けることができれば、また幸せ感も違ってくるのかもしれませんが、ふつうは夫婦でちょっとずつ無理を重ねていたらどこかで破綻します。
お互いを感じることができる男女が結婚したとき、それはふたりだけのかけがえのないストーリーが始まるときではないかと思いますが、いかがでしょうか。(ひとみしょう/ライター)